5月14日(土)〜15(日)にかけて、天気予報では曇だけれど晴れているので、計画していた京街道のポタリングを楽しんだ。
昨年12月の西国街道ポタリング以来、久しぶりの街道ポタリングだ。
今回は、⑪の文禄堤から、㉒の茨田堤の石碑までをブログアップする。
京阪守口市駅と近くの文禄堤の説明を見たあと、淀川左岸の京街道に沿って北東へポタリングした。
(文禄堤は、豊臣秀吉が淀川左岸の改修・整備したもので、伏見城と大坂城を結ぶ道だ。)
難宗寺には、守口城址がある。
難宗寺の近くに、守口宿の説明板があった。
街道の面影を残す道を、当時を想像しながら、のんびりとポタリングする。
盛泉寺は慶長11年(1606)に創建された東本願寺の末寺で、「東の御堂さん」「東御坊さん」と呼ばれている。
探しにくかったが、道を挟んで「かめはしの跡碑」がある。
ネットでは説明が見つからなかったが、たぶん江戸時代、このあたりに川があったのだろう。
阪神高速12号守口線の下をくぐる。
京街道の道標を見つけた。
淀川は近い。
市街地を抜けて、淀川の土手に出る。
景色が変わって気分も変わる。
淀川に出た所から、ぐるっとビデオ撮影する。
鳥飼大橋が見える。
土手に寝そべって休憩する。
綺麗な花が咲いていた。
地図に書いてある佐太の渡し場を探していたが見つからず、あまり関係はないが、佐太樋跡を見つけた。
大正時代、この地区に淀川から水を引いていた樋があったようだ。
ぐるっとビデオ撮影する。
鳥飼仁和寺大橋が見える。
淀川の土手から一般道に出た。
標識に書いてある点野を、「しめの」と呼ぶらしい。
茨田樋遺跡水辺公園の案内板があるが、「まんだ」と読むらしい。
大きな木を背景に、日本最初の河川堤と言われる「茨田堤の石碑」があった。
日本書紀によると、淀川の洪水を防ぐために造られたが、難工事の連続だったらしい。