大正川の源流(枡池)を見たあと、元茨木川(川端通り)に行った。
(緑線⇒右の青線)
この日(11月3日)は暖かくて風もなく、ポタリングに最適だった。
500mで、茨木カンツリー倶楽部の東南角に出た。
ここのゴルフ場は、20年近く前に一度ラウンドしたことがある。
茨木カンツリー倶楽部の東側が、ジョギングロードになっている。
そして、すぐに名神高速道路に出た。
名神高速道路に沿って、茨木インターチェンジまでのんびりとポタリングすることにした。
2kmで茨木インターチェンジに来た。
800m東に走ると茨木川だ。
ここに「安威川 茨木川 合流の碑」が建っている。
それまで、ここから下流の元茨木川は川幅が狭く、天井川だったので、しばしば濁流氾濫を起こしていたようだ。
明治35年に両親を亡くした川端康成は、祖父母に引き取られて大阪府三島郡豊川村(現在の茨木市西部周辺)に移り住んだ。
川端康成は、昭和43年に日本で初めてノーベル文学賞を受賞したすごい人だ。
茨木市は川端康成文学館を開館し、その前の通りを「川端通り」にした。
きれいに整備された、幅の広い川端通りを気持ち良くポタリングした。
1km走ると、JR京都線の高架をくぐる。
この近くに、「丸また」という名称の古い高架があると説明地図に書いてあったので探した。
奥の部分が、「丸また」のようだ。
レンガ造りで年代を感じるが、芸術品のようにも思える。
じっと見ていると、丸またのイメージが出てくる。
「希望の像」って、明るい未来を想像させる良いモニュメントだ。
川端通りの中ほどで、お腹が空いてきたので一般道に出て、コンビニでおにぎりと飲み物を買って食べた。
茨木市役所のそばだった。
近くに茨木神社がある。
左手に「被爆石」があったので、何なのか読んでみた。
このような原爆に関する物を見ることは、戦争と原爆の悲惨さを考えることができる良い機会になる。
残念ながら、世界には未使用の原爆が何千発と配備されている。