関西の「川の源流探し」と「街道ポタリング」

関西の河川の源流や街道を自転車で走り、歩いて、見て紹介します。

50.吹田街道を服部天神宮からポタリング②

 吹田街道は、阪急宝塚線服部天神駅付近で、南北に走る能勢街道から東に分かれて、吹田の南高浜町に至る。

 ネットで古い地図を探し出して、現在の地図と見比べて、街道の道を想像しながら、前回は阪神高速道路手前まで走った。

 今回は阪神高速道路を越えて、吹田の渡しまでをアップする。

f:id:knakata:20211018083028p:plain

(現在の地図)

f:id:knakata:20211018083041p:plain

(1900年頃の地図)

 阪神高速道路下をくぐり出たところは、昔の街道の姿はまったくない。

f:id:knakata:20211018083104j:plain

阪神高速道路の東側)

 上の写真でも、200m先に新御堂筋の高架が見える。

 新御堂筋の下(ネットの間)をくぐる。

f:id:knakata:20211018083130j:plain

新御堂筋の高架)

 新御堂筋の高架をくぐった所に、新しいがお地蔵さんではあるが、見てホッとする。

f:id:knakata:20211018083226j:plain

(南無延命地蔵菩薩)

 お地蔵さんの前を通って右へ少し行くと、「旌忠記念碑」という大きな石碑があった。

 「旌忠(せいちゅう)」は、国家に対する忠義を表彰することらしい。

f:id:knakata:20211018083246j:plain

(旌忠記念碑)

 裏面には「従軍者、明治39年10月建」とあり、戦争で亡くなられた方々のたくさんの名前があった。

 年代から見て、日露戦争明治37年〜38年)だろうと想像する。

 とにかく戦争は悲惨だ。

f:id:knakata:20211018083317j:plain

(旌忠記念碑の裏面)

 吹田街道の北300mに垂水神社があるが、この北側が「縄文時代の海食崖」とパンフレットに書いてあったので、付近を探してみたがそれらしき跡はなかった。

 ただ、北側全体が小山のように盛り上がっているので、それかなと思った。

f:id:knakata:20211018083339j:plain

(垂水神社)

f:id:knakata:20211018083348j:plain

(垂水神社の長い階段)

f:id:knakata:20211018083437j:plain

(参道途中から振り返る)

 参道を下って、少し遠くから眺めると「海食崖」にも見える。

 この小山の麓の東西に走る部分は、縄文時代前期、海水面の上昇(縄文海進)により誕生した海食崖で、ここが波打ち際だったと推測されている。

 へえ~、こんなところまで海だったのか!

f:id:knakata:20211018083457j:plain

(垂水神社の参道入口)

 参道から一つ東の小道から見ても、小山が続いている。

f:id:knakata:20211018083514j:plain

 (参道から一つ東の小道)

 元の吹田街道に戻ると、「雉子鳴き道(雉子畷)」が横切っている。

 畷(なわて)とは、「田のあいだの道。真っ直ぐな長い道」の意味だ。

 たぶん付近には雉がたくさんいたのだろう。

 そしてそれを記念する石碑が、住宅にひっついて建っている。

f:id:knakata:20211018083612j:plain

 (雉子畷の石碑)

 「ものいわじ 父は長柄の橋柱 雉も鳴かずば 射られざらまし」

 人柱って本当にあったのだろうか?

 ネットで見ると事例がたくさん出ている。

 不合理と言おうか、残酷と言おうか、昔は「平安」は神に祈るだけだったのだろうか?

f:id:knakata:20211018083637j:plain

(雉子畷の悲しい伝説)

 雉子鳴き道から200m行くと、左手に大きなマンションがあるが、その塀の高さ4mの位置に「上の川水路跡」が残されている。

 説明によると、上の川水路はこの場所と大きさと高さだったらしい。

f:id:knakata:20211018083657j:plain

(上の川水路跡)

 地図で調べると、ここから上流が上の川で、下流が糸田川で神崎川に流れ込んでいる。

 近々、神崎川と糸田川の分岐から上流に遡り、上の川に沿って源流を探してみよう。(どんな川か興味が湧いてきた) 

f:id:knakata:20211018083720j:plain

(説明文)

 豊津交番前にある、水路改修工事の「記念碑」だ。

 車の左側が「上の川」だ。

f:id:knakata:20211018083746j:plain

(記念碑)

f:id:knakata:20211018083801j:plain

(説明文)

f:id:knakata:20211018083810j:plain

(豊津交番から北を望む)

 直ぐそばに阪急豊津駅があり、車の交通や人流はけっこう多い。

f:id:knakata:20211018083829j:plain

(阪急豊津駅

 豊津駅から出た所に、「糸田橋石柱」がある。

 上の川と糸田川に関する石碑が多いのは、昔は大きな災害をもたらす大変な川だったのだろう。

f:id:knakata:20211018083850j:plain

(いとだばし石柱)

f:id:knakata:20211018083859j:plain

(説明文)

 ここから古い道と現在の道を見比べながらポタリングしたが、「阪急千里線」と「吹田高架線」と「JR京都線」が入り組んでいて、また大きな「アサヒビールの工場」があり、街道がどれかわからなくなった。

 時間も遅くなったので、適当に写真を撮りながら神崎川を走って帰った。

f:id:knakata:20211018083945j:plain

(泉殿宮)

f:id:knakata:20211018084032j:plain

(大の木と吹田殿阯)

f:id:knakata:20211018084103j:plain

(説明文)

 神崎川近くの川面墓地に「大関松ノ音善蔵」の墓石がある。

 吹田出身で、明治11年に西関脇で、以降大関(当時の最高位)を努めたようだ。(大関が最高位とは知らなかった)

f:id:knakata:20211018084136j:plain

(松ノ音善蔵の墓石)