豊中市の南、神崎川に並行して「旧猪名川」から「高川」まで結ぶ「京街道」が、「とよなか歴史・文化財マップ」に書かれていたので、自転車でポタリングした。
スタートは、旧猪名川にかかる「椋橋(くらはし)」で、旧猪名川緑地の入り口でもある。
椋橋を渡った所に、「金毘羅大権現常夜燈」がある。
説明板によると、このあたりは古くから江戸時代にかけて、吹田、尼崎、有馬、京都を結ぶ交通の要衝として、大変栄えたようだ。
100m行った左手に「椋橋総社」がある。
鳥居の中に入ってみると、幼稚園の運動会で、園児が元気で大きな声を出していた。
南200mに「庄本南水門之阯碑」が建っていて、この地はかつて「水郷」と呼ばれていたようだ。
地図の水色に囲った所に、州至止(すどうし)八幡宮があり、境内に「疎水成功碑」が建っていて、周辺の石碑設置の説明がある。
以下は、地図で水色の枠内にある多くの石碑。
東へ200m走り、阪急神戸線の踏切を超える。
さらに100m走り、阪神高速池田線の高架をくぐる。
1kmほど気持ちの良い道を走ると、阪急宝塚線の高架をくぐる。
高架をくぐれば、天竺川の「どうでんこばし」を渡る。
漢字では「道田小橋」と書き、昔は田んぼの水路にかかっていた小さな橋だったのだろう。
500mで神崎川に出た。
ここには、「目いぼの渡し碑」と「目いぼ橋欄干」がある。
明治の末頃まで使われていた渡し船の船頭の、右目の上に「大きないぼ」があったので、この名前がつけられたらしい。
ここから「京街道」は、「三国街道」に名前が変わり北上する。⇒続く