勝尾寺街道は、豊中駅の南西300mから東へ始まり、前回の「勝尾寺街道をポタリング①」では、島熊山窯跡付近の北大阪急行電鉄の手前まで走った。
今回はその高架下をくぐり抜け、北東の中国自動車道手前までの2kmをブログアップする。
大阪急行電鉄の高架をくぐり抜けた50m先に「道標」がある。(右 くまのだ 左 大坂道)
このあたりの上新田には、5箇所に道標があると書いてある。
そして、「天竺川の源流を探して」のポタリングでも紹介した、「旧新田小学校校舎」が保存されている。
明治33年(1900)に建てられ、昭和48年(1973)まで使われた校舎だ。
そして600m行くと「上新田」に入るが、昭和28年(1953)に大阪府三島郡にあった村が2分割され、大字上新田が豊中市、大字下新田が吹田市に編入されたらしい。
勝尾寺街道の要衝であったためか、このあたりには道標が多い。
東300mには愛宕神社があり、階段を登った所に「北向き地蔵」がある。
北向地蔵というのはよくあるが、その意味はなんだろうか考えてみた。
鬼門という言葉があるが、鬼門は北東を示し鬼が出入りする方角らしい。
ということは、北を向いて正座することにより鬼を見張っていたのかもしれない。
そのまま後ろに寝ると、ほぼ南枕になり、昔から「北枕は良くない」と言われていたことにも合いそうだ。(変な理屈だが)
このあたりは天竺川沿いで土地が低かったので、徐々に嵩上げされたのだろうか。
(すでにブログアップしている能勢街道、箕面街道、勝尾寺街道は平地部分を終えて、これから登りの坂道に入っていくが、自転車で疲れそうだ!)