天竺川の源流を求めて②(前回)は、北大阪急行電鉄の高架下をくぐる場所までの3kmだった。
今回は源流らしき池を見つけた場所まで、ここから5kmの自転車ポタリングをブログアップする。
高架下をくぐってすぐに「旧新田小学校校舎」が、しっかりと保存してある。
明治33年に建設され昭和48年まで使用されていたらしいが、私もこのような小学校で授業を受けたような気もする。
天竺川は旧上新田村の中を流れている。
この地域は、昭和30年(1955)代以降の「千里ニュータウン」の建設や、1970年に行われた「日本万国博覧会」で急速に都市化が進んだ。
そのために、このあたりの家は「昔の家」から「最近の家」まで混在し、目を楽しませてくれる。
川はどんどん細い水路になり、中国縦貫自動車道とモノレールが並走する地点で見失った。
モノレールと中国縦貫自動車道の上の歩道橋を渡り、反対側を探すが、ほとんどが舗装されていて水路は見つからなかった。
先程書いたように、急速な都市化の影響で、きれいに整備はされてはいるものの、残念ながら川はコンクリートの下に潜ってしまった。
水路を求めてポタリングするが、なかなか見つからない。
少し走って、千里東町公園に「長谷池」を見つけた。
天竺川の源流かもしれないが、なにか箱庭的だ。
きれいに整備された「散歩道」を通って、事前に地図で調べてきた「安場池(やすばいけ)」のある千里中央公園に向かう。
どちらかが天竺川の源流に違いない。
千里中央公園の案内図の上(北)に、池の絵が描かれている。
この池は、北にある箕面山からの水が湧き出しているような気がする。
こちらは自然の池のようだと思い、ネットで調べた。
「1983年頃は池を埋め立ててグラウンドを作る予定だったが、市民の他、豊中、吹田の生態学者や自然保護運動に関わる人達にも広く呼びかけて、安場池を守る会」を発足させ「安場池」は残った。」
池の周囲の自然の景色を見て、「天竺川の源流はここに違いない」と勝手にそう決めた。(先ほどの「長谷池」に比べて自然色が濃い)