神崎川の三国の渡し碑から上流へ1km行くと、土手に「目いぼの渡し碑」が建っている。
平成元年とあるから、この碑は比較的新しい。
この「目いぼの渡し」は、歴史的には「小曽根の渡し」として知られていて、江戸時代にはさまざまな人や物の移動で賑わっていたらしい。
「目いぼ」という言葉の由来やこの橋について、碑の右側面に書いてありそうなのだが、残念ながら白くて読めない。
このような御影石に彫り込んだ小さな文字には、黒い塗料を埋め込んでほしい。(せっかく彫り込んであるのに、読めなくてはもったいない)
(神崎川 目いぼの渡し石碑)
目いぼの渡し碑の上流へ30mの右手、土手から下りたところに「目いぼ橋欄干」がある。
なぜこのようなところに橋があるのか不思議だったが、よく見るとたしかに下は水路だったようだ。
資料によると昭和10年に整備され、神崎川から農業用水を引き込むための水路として利用していたらしい。
左の欄干には「めいぼはし」、右の欄干には漢字で「目疣橋」と彫られている。
2枚目の写真で、右側のマンション左の非常階段の方向に、小さく「目いぼの渡し碑」が見える。
(目いぼ橋と欄干)
神崎川に沿って散歩道を5kmほど遡ると、安威川と合流する三角地点が見えてくる。(散歩道はきれいに整備されている)
その安威川200m上流の土手の道路脇に、「吹田の渡し跡」がある。
周囲は花が植えられ、また、説明板も整備されている。
写真の後ろに見える橋は「上高浜橋」だ。
大阪から丹波へ向かう「亀岡街道」の渡しで、当時は吹田は港町として栄え、またその景勝をたたえて貴族たちが訪れたらしい。
江戸初期は渡し船は1艘だったが、幕末には5艘に増えていたと書いてある。
川幅は200mくらいだ。
(吹田の渡し跡)
さあ、吹田市内を自転車で走って帰ろう。