現在は神崎川を渡る橋は整備され、車で自由に行き来できるが、かつて(江戸時代)は、神崎川(昔は三国川と呼んでいたらしい)には橋がなく、かなり不便だったようだ。
南からまず「州至止の渡し(すどうしのわたし)」があり、阪急神戸線のそばに「石碑」が建っている。
1977年に建てられた、比較的新しい石碑だ。
手前は神埼橋だ。
(州至止の渡し(すどうしのわたし)石碑)
こうして、「渡し」「道路」「鉄道」が並行している景色を見ていると、随分便利になったものだと感心するが、渡しによる旅はすこぶる情緒があったに違いない。
ここから上流に2km遡ると「三国の渡し」がある。
明治6年(1873)にかけられた三国橋の大阪寄りのたもとに、立派な「石碑」が建っている。
この橋は「能勢街道」で神崎川を超えて、能勢の妙見さんに通じている。
「南北朝の戦乱を記した「太平記」にその名が見える」と、石碑に書かれている。
なお、太平記は全40巻で、南北朝時代の50年間を書いた軍記物語だ。(機会があれば読んでみたい)
そばに詳しい説明が書かれた石碑もあり、ここで周辺を見渡しながらゆっくりと説明文を読むのは、当時が想像されて楽しい。
(三国の渡し石碑)