浜田川は、武庫川に沿って東1.5kmを南へ流れている。
(水位が高い浜田川)
この日の2〜3日ほど前に大雨が降ったためか、浜田川の水位が上がっていた。
地元の人が「なかなか水が流れない」と話しているのが、歩いていて聞こえた。
尼崎は海抜が低く、この川は神崎川から淀川に合流し大阪湾に流れるが、どの川も増水して流れにくくなっているのだと思った。
もう少し雨が降れば溢れそうだ!
水論牢死者墓碑は、浜田川に沿って国道2号線の北700m松原神社の向かい側にある。
水論という言葉初めて知ったが、「水田への水の分配をめぐる紛争」で暴力的だったようだ。
(水論牢死者墓碑)
石碑には「江戸時代に浜田村と西難波村の間で水争いが再三あった。明治元年に起きた水争いで村の役職者10名が入牢し全員死亡した」と書いてある。
農耕に水は無くてはならないものだが、昨今のような大雨で川が氾濫しても困る。
遊女塚は、法然上人と五人遊女の説話にゆかりの塚だ。
猪名川と藻川が合流して神崎川になるが、合流地点の西200mに「遊女塚」がある。
西暦800年頃、瀬戸内海を航行する多くの船が神崎に停泊し、港町として繁栄していた。
遊女たちは泊り客に諸芸を披露し、宴遊に興じる人たちで賑わった。
この塚は讃岐の国へ流される途中にこの地に立ち寄った法然に、念仏を授けられて川に身を投げた五人の遊女の亡骸を葬ったものと伝えられている。
法然さんは罪深いな。五人の遊女を死なすなんて!
(遊女塚)