関西 「川の源流探し」と「街道ポタリング」

関西の河川の源流や街道を自転車で走り、歩いて、見て紹介します。

豊中 中央幹線景観水路をポタリング①

 仰々しい名前の水路だが、中央幹線景観水路は、豊中市立豊島小学校の東門の前から始まり、旧猪名川手前の寸賀尻樋門まで3.3kmにわたる整備された親水水路だ。

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(マップ)

 水路の始まりから100mほどは旧能勢街道に沿っていて、旧能勢街道の説明板が立っている。

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(旧能勢街道説明板)

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(整備された水路)

 地図では豊中ローズ球場の北東角、阪急電車の手前からも水路は始まっているのでチェックした。

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(右手前が水路の始まり)

 右下からの水路は豊島小学校の東門の前から始まった水路で、右横からの水路は阪急電車手前からの水路で、ここで交わっている。

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(ふたつの水路が一つになる)

 豊中ローズ球場の南面に沿って、東から西に流れている。

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(球場の南側)

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(横は散歩道にもなっている)

 途中に景観水路マップがあり、書かれている内容から、豊中市下水道部の「思わぬお仕事」を見て頑張っているなと思った。

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(景観水路マップ)

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(マンションとも上手く調和している)

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(かもが餌を食べている)

 豊中市立豊島体育館の前に、「広池跡記念碑」がある。

 このあたり穂積地区の用水の要になったのが広池で、各方面から水が集まっていた。

 しかし、当時の広池は狭く、昭和初期に水路整備事業の一環として整備されたらしい。

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豊中市立豊島体育館)

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(記念碑)

 少し行ったところの、水が停滞している水路の曲がり角で、40~50cmはありそうな大きな鯉が群れをなしていた。

 口を水面に出してパクパクしているが、何をしているのだろうか?

 もう少し行くと「穂積百日堰」がある。

 堰とは農業用水を川から引くために、川を横断して設置される構造物らしいが、「百日」の意味がわからない。

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(百日堰の碑)

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(裏に彫られた説明)

 さらに1km南下して、大阪府道606号西宮豊中線を横切る。

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大阪府道606号西宮豊中線

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(長い信号だった)

 整備された水路が続くが、徐々に幅が広くなってきた。

 この水路に水が流れ込んでいるのだろう。

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(整備された水路)

 さらに500m走り、名神高速道路の下を水路がくぐっている。

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(正面が名神高速道路)

 豊中 中央幹線景観水路をポタリング②へ続く


 

箕面川を176号線から猪名川まで自転車で下る

 先日、箕面街道を豊中から箕面山の「一の橋」までポタリングしたが、その帰りに「箕面川」に沿って176号線までの下りをブログにアップした。

 今回は、176号線から猪名川への合流までをアップする。

 

 石橋商店街は東西500m、南北200mで、200以上の店が軒を連ねている。

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(奥の赤い橋の下を箕面川が流れている)

 アーケードの上に「ここは能勢街道」と書いてあり、真っすぐ行けば「豊中~岡町」に通じているようだ。

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(石橋商店街)

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(池田のまち散策案内)

 商店街は、コロナが終息したら、もっともっと賑やかになるだろう。

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(商店街を少し入った所)

 1.5km川を下り、中国自動車道を過ぎた左手に、池田市史跡名勝と書かれた「弁慶の泉」がある。

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中国自動車道

 源義経と弁慶が、西国街道を通って尼崎へ逃げる時に、この泉で「のどの乾き」を潤したらしい。

 箕面川の伏流水が、湧き出ていると言われている。

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(大きな木がある)

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(高さ4mの大きな石碑)

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(弁慶の泉 由来記)

 あと1kmで、箕面川は猪名川に流れ込む。

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(奥に小さく見える橋の向こうが猪名川

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ANAが飛び立って行った)

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箕面川最後の橋)

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猪名川にきれいに合流している)

 猪名川の土手には、離着陸する飛行機のために「誘導灯」が設置されている。

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(誘導灯)

 今日の最後の仕上げに、猪名川の土手を気持ちよく自転車で走った。

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(マップ)

 秋の紅葉シーズン(11月)に、箕面山の「一の橋」から箕面大滝へ歩き、さらに源流を探すことにする。⇒ 箕面川の源流を探し求めてに続く

箕面川を一の橋から176号線まで自転車で下る

 先日、箕面街道を豊中から「一の橋」までポタリングしたが、その帰りに「箕面川」に沿って、猪名川まで自転車で下った。

 一の橋の手前から、帰路のスタートだ。(一の橋から箕面大滝へは、秋の紅葉シーズンに歩くことにした)

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(一の橋をUターンする)

 Uターンしてすぐ右下に、箕面川と鬱蒼とした樹木が見えている。

 この日は休日だったためか、観光客は比較的多かった。

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箕面川)

 緑の紅葉(もみじ)も見えていて、秋の紅葉で赤く染まると思うと気持ちはもう秋だ。(緑の紅葉は初めて見た)

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(みどりの紅葉)

 箕面観光ホテル(箕面スパーガーデン)の、展望エレベーターから紅葉を見ると絶景だろう。

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(展望エレベーター)

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箕面川と箕面観光ホテルを振り返る)

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(川下に向かって)

 どこでも橋の名前は、付近の景観や土地の由来をもとに、上手くつけられている。(名前を見るのは楽しい)

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(紅葉ヶ丘橋)

 きれいな花が咲いていたので、「ハナノナ」アプリで撮影した。

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ムクゲ

 案内図によると、次の橋は「阿比太橋」だ。

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(桜ヶ丘会案内図)

 阿比太橋からの川沿いの道も、行き止まりだった。

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(阿比太橋)

 このあたりは、建武3年(1336)に行われた新田義貞北畠顕家を総大将とする後醍醐天皇軍と、足利尊氏を総大将とする反乱軍の戦いの場となった。

 戦力は合わせて30万人という途方も無い人数で、豊島河原の戦いと言われる。

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(川の上流)

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(川の下流

 近くに瀬川神社があるが、戦争で亡くなった人を祀ってあるのだろうか。

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(瀬川神社)

 少し走って176号線に出た。

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(176号線高架)

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ポタリング地図)

箕面川を自転車で下る②に続く



 

 

箕面川を下る②に続く

勝尾寺街道を自転車でポタリング②

 勝尾寺街道は、豊中駅の南西300mから東へ始まり、前回の「勝尾寺街道をポタリング①」では、島熊山窯跡付近の北大阪急行電鉄の手前まで走った。

 今回はその高架下をくぐり抜け、北東の中国自動車道手前までの2kmをブログアップする。

 

 大阪急行電鉄の高架をくぐり抜けた50m先に「道標」がある。(右 くまのだ 左 大坂道)

 このあたりの上新田には、5箇所に道標があると書いてある。

 

 そして、「天竺川の源流を探して」のポタリングでも紹介した、「旧新田小学校校舎」が保存されている。

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(旧新田小学校校舎)

 明治33年(1900)に建てられ、昭和48年(1973)まで使われた校舎だ。

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(木造の校舎)

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(説明板)

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文化財の保存にはお金がかかりそうだ)

 そして600m行くと「上新田」に入るが、昭和28年(1953)に大阪府三島郡にあった村が2分割され、大字上新田が豊中市、大字下新田が吹田市編入されたらしい。

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(歴史を想像させる上新田集落の説明板)

 勝尾寺街道の要衝であったためか、このあたりには道標が多い。

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(左 かちをし 右 さいでら)

 東300mには愛宕神社があり、階段を登った所に「北向き地蔵」がある。

 北向地蔵というのはよくあるが、その意味はなんだろうか考えてみた。

 鬼門という言葉があるが、鬼門は北東を示し鬼が出入りする方角らしい。

 ということは、北を向いて正座することにより鬼を見張っていたのかもしれない。

 そのまま後ろに寝ると、ほぼ南枕になり、昔から「北枕は良くない」と言われていたことにも合いそうだ。(変な理屈だが)

 

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(半分埋まっている道標)

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(この道標も半分埋まっている)

 このあたりは天竺川沿いで土地が低かったので、徐々に嵩上げされたのだろうか。

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(この道標も半分埋まっている)

 勝尾寺街道を自転車でポタリング③へ続く

 

 (すでにブログアップしている能勢街道箕面街道、勝尾寺街道は平地部分を終えて、これから登りの坂道に入っていくが、自転車で疲れそうだ!)




箕面街道を自転車でポタリング③

 赤い線の「箕面街道」に沿って、今日のスタートからゴールまでを自転車でポタリングした。

 今日のゴール以降の「滝道」は、秋の紅葉シーズンに歩くことにする。

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(今日のポタリング地図)

 左手前にある道標は、新旧箕面街道が合流する地点に建っていたが、中央環状線が建設される際に、少し手前(南側)に移設された。

 右上に見えるのが中央環状線で、左手前に見えるのが「道標」だ。

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(道標と中央環状線

 左熊野田、右大阪と彫られているが、移設に際して向きが180度近く変わったようだ。

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(移設された道標で、表示は不正確)

 左手前から新箕面街道が来て、高架の中央部あたりで旧箕面街道と合流していた。

 上の道標なら、合流地点に移設できると思うが。

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(現在中国自動車道のリニューアル工事中/左工事の様子)

 高架の下をくぐり、住宅の間を軽快にポタリングし、千里川に出た。

 少し走り、千里川の高橋を渡る。

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(「高橋」桜の町6)

 千里川に沿って少し走り、千里川の分かれ道に来た。

 ここから左の道に入って、坂を登っていく。

 坂を500m登ると、右手に報恩寺がある。

 道路とお寺の建物の位置関係から、道が上り坂になっていることがよくわかる。

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(報恩寺)

 報恩寺の東300m(さきほどの高橋の上流)に、「どんど橋」が千里川にかかっているが、少し離れた草むらに「旧どんど橋欄干」がある。

 もう少し丁寧に保存してほしい。

 さらに500m登ると、野間テニスコートがある。

 休日だったがコロナ禍のためか、テニスをしている人は少なかった。

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(野間テニスコート

 このあたりが坂の一番上あたりだ。(坂が終わるとホッとする)

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(北に箕面山が見える)

 少し下ると国道171号線に出る。

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(ゴルフファイブ牧落店)

 国道171号線の牧落西交差点を渡り、左側の細い道に入る。

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(細い道はなぜか安心感がある)

 少し走って「牧落の旧札場と道標」を見つけた。

 この場所は、箕面街道と西国街道が交わる四つ辻にあたるらしい。

 ここで、やっと街道らしいイメージが湧いてきた。

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(牧落の旧札場と道標)

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(説明板)

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(はっとり天神 二り 大坂 四り半)

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(みのを山)

 箕面山に向かって、細い道は続いている。

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(細い道が続く)

 古い家並みを見ることができて、街道を走る気持ち良さを感じた。

 車で走るには不便だけれど、ポタリングには最高の道だ。

 もう少し走って箕面駅の近くに来た。

 箕面6丁目の交差点を渡ると「みのお本通り」だが、休日のためか客足は少なかった。

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箕面6丁目の交差点)

 ここを通り抜けると左手に阪急箕面線箕面駅」が見えた。

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箕面駅 前にそびえるのが箕面山

 これからが急な坂道で、しっかりと漕がないと進まない。

 少し登ると左に道標がある。

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(きれいな水が流れる水路)

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(左 大坂 右?? すく中山)

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(きれいな水路)

 「このあたり中ノ坂は、古代から聖地視された箕面山と、そこに建立された龍安寺(旧箕面寺)の宗教世界の入り口にあたる」と説明板に書いてある。

 なにかすごい場所のようだ。

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(説明板)

 ここからは自転車を押し上げていき、西江寺を越し、少し下ると箕面街道の終着点、「一の橋」だ。

 この橋を超えると、秋に紅葉がきれいな「滝道」になる。

 秋の紅葉シーズンに、「箕面川の源流探し」で歩くことにしよう。(楽しみだ)

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西江寺

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(一の橋)

 右手には、「箕面温泉スパーガーデン」がそびえ立っている。

 コロナが終わったら、一度行ってみたい。

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箕面温泉スパーガーデン)

 ここからは、箕面川に沿って楽な下りだ。

 






箕面街道を自転車でポタリング②

 堀田公園の右手に、「堀田池謝恩碑」が建っている。

 このあたりの丘陵部では、「月夜に田んぼが焼ける」と言われたように、農業用水の安定した確保と分配に苦労を重ねてきたようだ。

 堀田池は旧野田村のため池で、享保11年(1726)に竣工した。

 このような田んぼを潤した数々のため池は、豊中が住宅都市として発展していく中で埋め立てられ、公園や学校に姿を変えた。

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(堀田池謝恩碑)

 裏面には「堀田池縁起」が彫られているが、文字が小さすぎて、ところどころしか読めなかった。(読めば面白そうなので、白か黒の色をつけてほしい)

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(堀田池縁起)

 堀田公園から200m東に、堀田池が少し残っている。

 埋め立てられなければ、けっこうな大きな池だったようだ。

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(堀田池)

 ここから500m北東に「青池」があり、上野遺跡説明板、青池南湖畔窯跡説明板、青池北畔窯跡説明板が立っている。

 

 さらに600m北に進んで、大阪中央環状線と中国縦貫自動車道が並走する手前に「道標」がある。

 本来はここから100mほど先の、新旧の箕面街道が合流するところにあったが、大阪中央環状線建設の際に現在の場所に移された。

 

 ここから南西に2kmに戻るが、能勢街道から分岐し、新箕面街道が始まる豊中駅近くに道標がある。

 昭和2年3月に建てられたと彫られている。

 梅花女学校と豊中中学校(現在の豊中高校)ができた時に、道がわかりにくくなったために建てられたらしい。

 

 地図の合流地点の「合の文字」の下にうすく青く見えるのが青池で、その下にさらに小さく見える(教習所の習の文字の上)のが堀田池だ。

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 箕面街道ポタリング③へ続く

 

箕面街道を自転車でポタリング①

 能勢街道の阪急曽根駅付近と阪急豊中駅付近の2ヶ所から別れて、「箕面街道」は始まる。

 そして3kmほど北の中国縦貫自動車道を超えた辺りで合流し、箕面大滝の直前まで通じる11kmの道だ。

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箕面街道地図)

 今回は阪急曽根駅付近の能勢街道との分岐地点から、箕面山の麓まで自転車でポタリングをして、秋の紅葉シーズンに箕面大滝までの道を紅葉を楽しみながら歩くことにした。

 阪急曽根駅の東500mにある、能勢街道箕面街道の分岐を示す道標からスタートする。

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(右 みのをと勝尾寺??道)

 箕面街道を北へ500m行ったところから左手に、150mおきに3つの古墳がある。

 このあたりには豪族が住んでいたのだろう。

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南天平塚古墳)

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(説明板)

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(御獅子塚古墳)

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(大塚古墳)

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(説明板)

 さらに500m北へ行くと、南面に「役行者像」が大きく彫り込まれた道標が建っている。

 「すく」というのは、「まっすぐ」と言う意味らしい。

 手前の道を左へ行けば伊丹街道に合流し、右へ行けば勝尾寺街道に合流する。

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(すくみのかつをぢ)

 西200mに旧豊中高女の敷地の北に残る、昭和13年に作られた「レンガ塀」がある。

 ここの地名(桜塚)にちなんで、愛らしい桜花形の透かしがあけてある。

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(旧豊中高女 現在は男女共学の桜塚高校)

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(レンガ塀)

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(説明板)

 さらに500m進んだ場所に、高さが1.5m近い大きな「道標」が建っている。

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(すぐみのお山 かつおうち道 すぐいたみ 中山道) 

 さらに700m行くと堀田公園があり、公園入口の右手に、寂しそうな雰囲気の「子供の像」がある。

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(寂しそうな子供の像)

 左の子供は「何か」を胸に抱いていて、2人の子供の目線はその「抱いているもの」に向かっている。

 右の子供は左の子供の肩に右手を回している。

 抱き方から見て「赤ちゃん」のようにも見えるが、そうであれば夫婦なのか?

 気になり周囲を見回したが、なんの手がかりもなかった。

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(左の子供は何かを抱いている)

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(周囲を探すが手がかりは全くない)

 ここは現在は堀田公園になっているが、昭和44年に堀田池を埋め立てて整備された。

 左の子供に見える人が愛おしく抱いているのは、この池に落ちて助け上げた子供だろうかと、勝手な想像が巡る。

 豊中箕面街道ポタリング②へ続く